ノーベル学習館と重松神社

ノーベル学習館と重松神社

なぜ重松神社にお参りしているの?

ノーベル学習館・合格祈願祭


令和6年1月3日の合格祈願祭のようすです。
なぜ毎年重松神社にお参りしているのでしょうか?
簡単に説明いたします。

ノーベル学習館とは

ノーベル学習館の創業者は、重松神社の先代宮司・大成俊行〔17代〕でした。はじめは自宅で塾を始め、竹原に進出したのは1960年代の後半でした。手書きの看板やポスターを父と二人で作り、竹原市内各地に置き、貼って回ったことを覚えています。塾の名前に「ノーベル」を使った父の思いはわからないでもなかったのですが、「この名前で生徒は集まるのかなあ」と子どもながらに心配もしていました。
竹原での教室は、駅前の山本ドレスメーカーの2階の一室でスタートし、後に藤田ビル〔現在はない〕に移転し、現在の自社ビルにいたります。70年近い歴史をもつノーベル学習館ですが、今の西川館長は3代目の館長となります。

大成家の私塾

また、重松神社の15代神主・大成景徳〔百蔵〕は、文久3年〔1863〕に塾をひらき、慶応3年〔1867〕にその塾を廃業しています。わずか数年の開業期間でしたが、その後、明治6年〔1873〕に木谷小学校駸々舎が大成景徳〔百蔵〕宅で開校し、翌明治7年に重松神社に移転しています。その後、木谷小学校は明治9年に現在地に新築移転されることになります。そして、次の16代神主・大成景幹は、この木谷小学校の教員となります。
さて、現在のノーベル学習館は、江戸末期に開業した私塾と直接関係はありません。しかし、同じ重松神社の神主が開業した私塾という点において共通しており、17代宮司・大成俊行がノーベル学習館を開業することになったのは、このような歴史的背景があったからかもしれません。

これまでのポスター紹介